幸村はグッタリとした獣を背負って豪雨の中を駆け出した
ダラリと前に伸びる両腕はピクリとも動かず、荒かった呼吸も強風にかき消されて聞こえない
死んだかも知れないと思いながらも、幸村は必死に走った
やがて、住居にしているアパートに着き二階への階段を駆け上がると
すっかり冷えて感覚の無くなった指を無理やり動かし鍵を開け、玄関先へ獣を転がした
「おい!」
微かに胸が上下に動いているが、頬を叩いても反応がない
「どっ…どうすれば」
医者に連れて行こうにもこの風貌
一見、人間と同じなのだが猫のような耳としっぽが付いている
どうのような騒ぎになるかは想像に難くない
病院には連れて行けない
しかし何か対処しなければ…
置き薬があったのを思い出し、立ち上がったとこでふと気づく
「人間の薬を飲ませても良いものか…」
オロオロしていると部屋の電話が鳴った
電話帳にのせていない固定電話にかけてくる相手といえば限られる
仕事で出張中の佐助に違いないと思い、急いで受話器をとった
「佐助か!?」
「あ、旦那?ケータイ出ないから家にかけたんだけど…いや~ダメだわ。台風でどの便も欠航…」
「佐助ぇ!熱が凄くて死にそうなのだ!如何にすればいい!?」
「……え、旦那が?いや、元気そうじゃ…」
「猫殿がグッタリして反応がない!どうすればいい佐助ぇ!!」
「猫ぉ?…旦那、まさか猫拾ったんじゃないよね?言っておくけど…」
幸村は佐助の小言を遮るように凄んだ
「佐助」
低い幸村の声音に、佐助は息を一瞬止める
「どうすれば良いか教えろ」
「……とにかく、体温めて。なるべく水飲ませて、早く病院に…」
「わかった!」
受話器を放り投げ、獣に駆け寄るとずぶ濡れの粗末な衣類を剥ぎ取った
獣を抱え、隣の襖を開けると敷きっぱなしだった布団に下ろし掛け布団を被せる
ミネラルウォーターのボトルを口元に押し付けても動かない獣に
幸村はもう一度頬を叩いた
「死んではならぬ!気をしっかりもて!」
幸村の声に反応するように獣の乾いた唇が微かに動く
「……まさ…むね」
聞き覚えのない名を呼んだ後、
再びグッタリとする獣を抱え口移しで水を飲ませる
口の端から零れ落ちないよう顎を持ち上げ、
差し込んだ舌で獣の舌を抑えつけ喉奥へと何度も流し込んだ
「猫殿…」
カタカタと細かく震える獣をみて幸村はおもむろに服を脱ぎ捨てると
布団に潜り込み胸に強く抱き寄せた
温もりに縋るように顔を寄せる獣の背中を擦りながら
濡れた長い髪をタオルで拭いてやる
吹き付ける雨風はガタガタと窓枠を叩き続け
猛威を増しているようだ
幸村は朝には台風が通過し天気が回復するとテレビのアナウンサーが言っていた事を思い出したが、
病んだ獣の体を抱きながらこの忌まわしい嵐が永遠に続くような嫌な感じがした
「しっかりしろ…死ぬな」
そう言いながら必死な想いで、消えようとする命を包み込んだ
翌昼過ぎ
佐助はタクシーを降りるとアパートの階段を駆け上がり
鍵のかかっていないドアを乱暴に開けた
「旦那っ!?」
昨日の電話を心配して佐助は出張先の空港から駅へ移動し
新幹線の運行再開を待って、電車を乗り継ぎやっとの思いで帰路についた
「旦那?猫、大丈夫だった?」
居間に姿がないので隣の襖をサラリと開ける
裸で抱き合う幸村と髪の長い女の姿を見て佐助は叫びそうになった
『な…なんだ。猫って…子猫ちゃん的な意味だったのか……っつーか…』
女に全く免疫のない幸村が突然女を連れ込むとは
佐助は予想だにしない出来事に暫し立ち尽くしていた
その気配を感じ幸村が重い瞼を擦りながら目覚める
「む…佐助か」
「あ、旦那おはよ…俺、邪魔ならちょっと出てこようか?」
「今、帰ったばかりであろう?」
「そだけど…さ、それ…」
佐助が指先す先を見て幸村はあっと声を上げた
「そうだっ猫殿!無事かっ!?」
幸村は布団を跳ねのけ背を丸めて安らかな寝息をたてる獣を見た
額に手をやると昨夜の燃えるような熱さは消えている
「良かった…猫殿」
山を越えたらしい様子を見て幸村はホッと息を吐いた
改めて薄いカーテンから差し込む陽に照らされた獣を見ると
大きな上背のわりに肋が浮き手足も細く痩せていた
「…何か栄養をつけさせねば…佐助。…佐助?」
幸村がふと見上げると佐助は獣を指先し、
口をパクパクしながら目を見開いている
「…どうした佐助…面白い顔をしているな」
「!!みっ…耳!…し…しっぽがっ!な…何?それ?動いてるよ!?」
「生きてるのだから動くだろう…それより何か精のつくものを食わせてやらねば」
「人…!?なの?」
「わからぬ」
狼狽える佐助をよそに立ち上がる幸村は「そうだ」と呟いた
自分も獣も全裸なのだからついでに風呂にいれて綺麗に洗おうと思いついた
「先に風呂に入れるか。佐助すまんが何か食材を仕入れてきてくれ」
「…は…い……」
未だに衝撃から立ち直れないながらも
幸村の命に従って財布を手にすると玄関へ向かった
佐助は幸村に抱えられた獣を見て小さなため息をつく
「…ソレ、…オスなんだね」
「?…そのようだな」
二人の視線はまだスヤスヤ眠る獣の股間に注がれた
「…猫って何食べるんだろ…」
出張の疲れがドッと押し寄せるのを感じながら、
佐助はドアを閉めて近くのスーパーへ歩き出した
続く(?)